一見単純な作業である、縫製加工。しかし、一点に集中しなければ間違いをする。散漫な心理状態では難しい。これは、坐禅中の精神状態に近い。
一点に集中した作業は坐禅である。
半日作業をして気が付いついた。ミシン作業に集中していると、一瞬、無心になれる時がある。これは、坐禅中に感じる感覚と同じだ。
坐禅に集中していると、一瞬、無になれる。本来は、最初から最後まで、何も考えない状態が望ましいが、凡人には無理だ。
坐禅のワンセッションは約40分。集中の限界なのか?
凡人は、40分の中で、考えないように努めるが、無理だ。常に頭の中に、色々はことが浮かんでは消える。
その状態が、続く中、一瞬、何も考えていない自分に気がつく。
この状態が無心なのだ。
ミシン作業は修行なのか?
あえて言おう。修行なのだ。しかしながら、楽しい修行だ。苦行では無い。
坐禅の師匠曰く、「修行は楽しく。続けられることが重要。」と。
なぜなら、「あなたは僧侶では無い。」そうアドバイスを受けた。
そうなのだ。我々は僧侶を目指している訳ではなく、ものづくり起業家を目指しているのだ。